【店主から】熊本にいる“近所”のつくり手
こんにちは。にっぽん てならい堂店主の中村です。
気づいたら春でしたから、ちょっとうるっとしますね。
さて先日、熊本につくり手を訪ねてきました。
オープンスタジオさんは親子でやってる鍛冶屋さん。いやいや、鍛冶屋ではなかった。素材を限定しない物作りを展開するつくり手さん。いや、“限定しない”もまだ語弊がある。あえて素材を変えるつくり手さん、というべきですかね。
ガラス、金属、紙、箒などの素材を扱って、作ってらっしゃいます。
珍しいなーと思いました。普通はガラスならガラス、木なら木を極めようとするから。
「なんでですか?」と訪ねて高光さん(父)から帰ってきた答えはこうでした。
「素材と馴れ合いたくないから。」
素材となあなあになりたくない、のだと。かっこいいなーと思います。そう言われてみると、“馴れ合う物作り”と“馴れ合わないもの作り”、なんだか色々と想像が膨らみますね。
そもそも、てならい堂がオープンスタジオさんを見つけたのは、箒に合わせるちりとりを探していてのことでした。
ちりとりって、探してみると意外と「良いな」と思うものがなくてですね。どうも色々聞いてると伝統がない様なんです。それは箒は昔、座敷から庭に、土間に掃き捨てるものだったから。
古くは貼り箕(み)がちりとりの原型なんだとか、お茶の世界には利休の頃から塵取という道具があったりとかって歴史もあるのですが、いまいち「ちりとり」がいつ生活の道具として一般化したのかは判然としなくて。
だから「うちは代々ちりとり作っててー」とかって聞かないんですね。そんなこんなで良いやつないかなと探してて、探し着いたのがオープンスタジオさんでした。
じゃあ、なぜオープンスタジオさんがちりとりを作ってるかと尋ねると、それは箒を作ってるからでした。で、なぜ箒を作ってるかというと、それは鉄の薪ストーブを作ってるからでした。薪ストーブから出る灰を掃除するための箒が必要であり、そしてその灰を取る「灰取り」が必要だったんですね。
シンプルに必要なものを作っていた。なるほど。けどですね、一見シンプルですが普通はそうならない。てならい堂では箒は中津箒さんのものを扱ってるのですが、彼らもちりとりは作らない。なぜなら箒の職人だから。
ここが、素材を限定しないオープンスタジオさんならではかなと思います。やっぱり直接訪れて、聞かないとわかんないことがありますね。
そもそも、オープンスタジオさんはガラスから始まっているそうです。お父さんの高光俊信さんは、最初はイギリスに留学してガラスを学んでいます。当時は吹きガラスの工房は、まだ日本に5軒あったかどうかという時代だそうです。
たまたま留学先の関係だったけれど、結果、そういうガラス工房が日本にも必要だと感じて、立ち上げられました。
その後、俊信さんのお師匠は沖縄へ渡り、気がつくとどんどん奥の離島へ、奥の離島へと行ってしまう人だそうで(笑)、そんな師匠についてるうちに、自分を見つめる機会を得て、10年続けたガラスのモノづくりの次を考えていて、そして日本では学べないからと、またも海外へ渡った俊信さん。
師匠がなんでもやれというタイプだったことの影響もあり、次は「鉄の時代かなー」と感じてアメリカで鉄の修行をして、戻って薪ストーブや鉄のエクステリアの製作を始めました。
やがて、息子の太郎さんも自然とものづくりの世界へ。ご本人が言うには「気付いたら金属をやっていた」そうで、現在は鉄と錫の仕事を中心に活動をされています。
それにしても。「鉄の時代」って感覚も、「気付いたら金属」って感覚も面白いなーと思います。
デザインする仕事の中で、そういう目が培われてきたと仰ってましたが、世の流れを読むこと、その中で自分が役に立つ方法を捉えること、良い仕事をしたいと思う全ての人に共通で必要なこと、共通で身につけたいことなんではないかと思います。僕もほしいです、それ。
その後、俊信さんは三たび素材を変えて、今度はアメリカで箒の作り方を習います。日本はすでに掃除機の普及で箒作りをやめてしまっていた。
ちょっと意外な気がしました。米国の方がよっぽど家電文化なんじゃないかと思ったんです。
けれど、俊信さんは言いました。「向こうにはしっかりと残っているよね。受け継ぐ文化がある。日本人はすぐ飛びついちゃって、大事なものを捨ててしまうからね。そこが違う。」
アメリカはそもそも手作り、DIYの文化が盛んです。例としてあげていたのは車検の制度。
日本の車検はガチガチに制限された規定の部品や構造を逸脱してないかの検査。それゆえ、個人の改造はほとんど認められていませんし、自分で手を入れようという発想にならない。翻ってアメリカでは、自分で点検、メンテナンスすることが当たり前。車検などほとんど無いに等しいのだそうです。
どっちが良い悪いと言う話では無いんですが、けれどもこれは間違いなく文化の話。アメリカには自分で家を作っちゃう人なんてざら。自分で作るということを始めた時の、「のめり込み具合が違う」と俊信さんは教えてくれました。
そして、自分が学びで苦労したからこそ、今は「阿蘇ものづくり学校」という、ものづくりの学びの場を作って、これを育てようとされています。
対象は、本気で学びたい人。プロかアマチュアかは問題ではない、やるならみっちりやってほしいから、基礎だけを学んであとは応用で学んでいくそうです。
私も最近思うのですが、てならい堂では、たくさんのワークショップや体験を主催する中で、ものづくりが好きな人、得意な人の参加も多いです。
そんな会員さんに、「これ私が作ったんです」と見せていただくものは、本当にプロの仕事のようで、その境目の曖昧さを感じることが多いんです。
あまり素人に入ってきてもらいたく無いんですと仰るつくり手さんがいない訳では無いですが、けれど近くで見ている私が感じるのは、「自分で作ったものは大事にする」という言い古された定説を超えていて、「自分で作ったことがある人は、他人が作ったものを大事にできる」ということなんですよね。
自分で五感で感じた経験を持ってるから、職人の仕事をリスペクトできるし、そこに連なる社会や環境に思いを馳せることも可能になる。そして、そういう人たちが多い社会の方が、よりプロのつくり手の仕事は活きるのでは無いかと思います。
太郎さんに「ものづくりの楽しみは何ですか」と尋ねると、「同じものを作っていても新しい発見がある」ことだと教えてくれました。こうしてショップを併設することで、訪れるお客さんから何かインプットを得ようとされている。
作る人たちが学び続ける中で、私たち使う側は果たして学ばなくても良いのでしょうか。
オープンスタジオさんのものづくりは自由でした。二階に展示されてる箒を見せてもらいましたが、その柄に使われていたのは、ホッケーのスティックや、テニスのラケットなど本当に自由奔放そのもの。俊信さんからも、太郎さんからも自由の匂いがします。
スタジオの名前の由来はその名の通り、開かれた工房。私たち生活者のすぐ近くで、ものを作ってくれる人たちです。それは決して”手が届かない”つくり手ではない。そんなことを目指していない、そういう名前です。「クラフトは手頃じゃないと」との信念で、価格も驚くほど手頃。そこは逆にちょっと心配、、、
「これはこうじゃないといけない。」それは、一見するとこだわりの様にも聞こえるけれど、私たちの生活は多様だから、それはともすると窮屈に感じることもあります。けれどもオープンスタジオさんのモノづくりからはそういう匂いは感じません。
窮屈さを取っ払って、自由な道具を私たちに与えてくれるつくり手さん、と、私は勝手に親しみを感じていますが、けれど「馴れ合わない」ということは、手を抜いてまあこんなもんだで済まさない、ということを言っているのだと思います。
道具は生活の中で活かして役立てるものです。役に立てるという役割は私たち生活者にあります。私たちもまた、道具に対して馴れ合ってるのかもな、なんてことを考えます。
そんなつくり手さんが近くにいる土地は本当に良いなーと思います。
皆さんも熊本を通りかかることも多いかと思いますが、その際には、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
当面熊本に行く予定は無いよという方、ただ今、てならい堂(ひみつの小店)では、太郎さんが製作した銅と木と紙のちりとりをそれぞれ取り扱っています。一つ一つ風合いが違いますので、どうぞお手にとって比べてみてください。