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「三種の神器」といえば、思い出すのは「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」のこと。豊かさやあこがれの象徴として、戦後の日本で語られていたものですね。それが高度成長期になると、「カラーテレビ・クーラー・カー(自家用車)」になったらしい。さらには、平成のいま、新・三種の神器と呼ばれるのは「デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビ」。

何か思いません?そうです!あくまで家電であるということなんです。平成になっても、家電がデジタル家電になって、「新」などという言葉があたまにつけられて、実際に「新しい」顔をして、居座っている。

少しだけひもとけば、戦後は“家事労働の軽減”があこがれで、いまは“余暇の充実”があこがれなんですよね。あこがれの質も時代とともに変化をしている、というわけです。

でも、ちょっと待てよと。本当にこれらは三種の神器なのかなと、思うんです。もちろん、あったら嬉しい。きっと楽しい。モノを持たないことが美徳になりつつあるいま、モノを増やすことではなく、今あるモノに目を向けるとどうなるか…。

これはあくまで持論なのですが、「暮らしの質を上げる三種の神器」として考えるならば、タオルと器と照明なんじゃないかと、思ったりするのです。

タオルは、いつも清潔でありたいし、ふわふわ感をキープするために、ちょっと手間ひまかけたい。外からは見えにくい、身につけるもので例えたら下着のようなものですが、清潔に保つということは、暮らしの質全体に関わることなのではないかと。

器にこだわると、食べるということが丁寧になるのではないかと。毎日おもてなし料理をつくろうと言うわけではありませんが、長く使える、シンプルで質のいい器が食卓に並ぶことは、とてもいい暮らしの質を生み出すような気がするのです。片付ける、ということもあります。どんなにいいものでも、雑然としているところに置いても、ものの価値は発揮されない。きれいに片付けられた場所に、ぽんとひとつ、いい器を置くことに、意味があるのではないかと。

それから、照明。ホテルの客室を考えると想像がつきやすいのですが、複数の照明、もしくは白熱灯を使っていたりしますよね。ひと部屋にひとつの照明。そこを脱するだけで、家にいる「時間」の豊かさが大きく変わるのではないかと。

いずれも、毎日の暮らしに欠かせない、生活用品です。理由がなければ捨てる機会も少ないでしょうから、当然購入する機会も少ないかもしれません。

自分でつくる、リペアする、というのもいいですね。出来上がったものよりも、その営みというか行為そのものが豊かだなと思います。

新しい家電を買う前に、毎日使っているものにこそ目を向けたい…。そんなところに、暮らしの質を上げるヒントがある気がしませんか?

 

文 / 増村江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経て現在はフリーランスエディター、ライター。一児の母。主なテーマは、暮らし、子育て、食、地域、エネルギー。暮らしの工作家。毎日を、ちょっぴり丁寧に暮らしたいと思っています。