暮らしのコラム #05 “サボり”の美徳について
サボるというと何ですから、“おさぼり”としてみましょうか。
…いいじゃないですか。おさぼり旅、おさぼりスポット、今日のおさぼり…、いろんな企画ができそうです。
もちろん勤勉は、美徳です。何事もついつい頑張ってしまうのは、もはや国民性というべきものなのかもしれません。
でも、ふと思うのです。頑張っているうちは、頑張ることに一生懸命になっていて、思考していないかもしれないなと。その頑張りは、本当に自分の幸せにつながっているか?誰かの、または社会のためになっているのか?立ち止まって、あるいはいったん離れて思考しない限りは、分からないのではないかと。
そうした価値観を計る「モノサシ」は、残念ながら頑張ることだけでは磨かれていかないように思います。
はい、そうです。“おさぼり”が効くんじゃないかと思うんです。でも、単純にサボるだけじゃなくて、例えば、今までやったことのないことをしてみるとか、行ったことのない場所に行ってみるとか。中途半端にやるから、休もうとするから罪悪感があると思うんです。むしろ、正々堂々と、全力でサボる。そうするとこう、スカっとするんじゃないですかね。やってやったぞと。
「モノサシ」をつくるためには、こうしたメリハリが大事だと思います。基準をつくるための“振り幅”は広いほうがいい。モノサシって、要はスケールですからね。窮屈な日常のなかでちょっとばかり休んだところで、スケールは広がらないというわけです。
だから、いつでも動けるフットワークの軽さを持ちたいもの。あなたは、近頃どんな“おさぼり”をしましたか?たまにはふらっと、スケールの大きい“おさぼり”をしてみませんか?
文 / 増村江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経て現在はフリーランスエディター、ライター。一児の母。主なテーマは、暮らし、子育て、食、地域、エネルギー。暮らしの工作家。毎日を、ちょっぴり丁寧に暮らしたいと思っています。