暮らしのコラム #26 直す人たち④ イギリスで椅子張り職人になった日本人女性
暮らしの中でどうしても壊れていってしまうものたち。新しくて便利なものも安く手に入る世の中ですが、壊れたものを直して新しい命を吹き込む職人さんたちもいます。
暮らしのコラムでは「直す」人たちに、何をどんな風に直しているのか、そしてどうして直すことが大切なのか、教えてもらう連載を始めました。色々な「直す」エキスパートたちに登場していただこうと思っています。あなたのお気に入りと出会い直すお手伝いができたら、とても嬉しいです。
古い時代の家ほど人気が高く、ロンドンの賃貸でもなかなか借りることができないというイギリス。古いものを大切にする気質が脈々と受け継がれていて、アンティークマーケットも頻繁に開催され、壊れたものを直す職人さんもたくさんいます。
その一つが椅子張り(Upholstery)。麻糸・麻布・馬毛といった自然の素材を使って座面を作り、最後に布を貼る伝統的な技法です。この椅子張りに惚れ込み、とうとうイギリスで働く椅子張り職人になってしまった日本人女性がいます。名前は遠藤友嘉里さん。今回は遠藤さんと椅子張りのお話をご紹介しようと思います。
もともと航空会社で発券業務に長いこと携わっていた遠藤さん。コンピューターでの発券が可能になる前の航空券の再発行は、経験と知識のあるスタッフでないとこなせない業務でした。複数の航路やマイレージの計算方法などが頭に入っている必要があったからです。金額も都度変わってくるので、担当者が毎回計算していたそうです。
「それがどんどんコンピューターが賢くなってしまって、知識のない人でも誰でも発券ができるようになりました。それであるとき「あ、私はコンピューターに負けたんだ」って思ったんです。じゃあコンピューターに負けない仕事をしたい。私はこういうものなんだって、仕事をしていないときでも言えるような仕事をしたいと思ったんです。それは手を使う仕事だろう、と思って色々探しているうちに椅子張りに出会いました」
思い立った遠藤さんは単身、イギリスの湖水地方に渡ってケンダルというまちにある工房「Kendal Upholstery」で技術を学びます。イギリスにあまり馴染みのない方でも、『ピーター・ラビット』の舞台になった地域といえばイメージしやすいでしょうか。現在でも避暑地として人気があり、自然や歴史的な建物が美しく保存されている場所です。
そんな古いもの、伝統的なものが好きな人にとっては羨ましい限りの環境に身を置いた遠藤さん。技術を一通り学ぶと、一度日本に帰国して椅子張りの仕事を始めることにしました。わたしが初めて遠藤さんに出会ったのはちょうどそのころ。遠藤さんは帰国したばかりで、千葉にある古民家シェアアトリエの一角に工房を構えていました。
日本では伝統的な技法で張られた木の椅子にはなかなかお目にかかれません。見た目が伝統的な装飾の多いスタイルの椅子は日本でも人気があります。でもそこには伝統的な椅子とは大きく違うところが。現在一般的に売られている椅子のうち、ほとんどのものの座面はウレタンフォームでできているんです。
「同じ椅子とは言っても、そして外側から見ると違いがあまりわからなくても、中身は全然違うんです。私は自然の素材と自分の手を使って何かを仕上げていくという工程がとても好きだったので、椅子張りを始めた当初は伝統技法にこだわって仕事をしていきたいと思っていました。」
そのころの遠藤さんはアンティークショップや小古物店で古い椅子を手に入れ、塗装のし直しから椅子張りまで全てを行って販売したりしていました。
もちろん近所のお宅からウレタンフォームの椅子張りを頼まれたりもしていた遠藤さん。必ずしも伝統技法だけを使っていたわけではありませんでした。ただ「自然素材を使って、手を使って仕上げていくことを大切にしている」というポリシーを何度も聞いていたので、わたしは「それが遠藤さんの譲れない部分で、一番やりたいことなんだろうな」と思っていました。
そんなわけで、遠藤さんが技術を学んだKendal Upholsteryからオファーを受け、イギリスで働くことにしたときにはあまり驚きませんでした。「これからもっとたくさん伝統的な椅子張りができるようになるんだな、良かったなあ」なんて感想を持ったくらいです。
そうして遠藤さんが渡英して4年ほど。この「直す人」という連載を始めて、ふと「遠藤さんにとっての直すこと」は一体どういうことなのかな、なんて伺ってみたくなりました。久しぶりに連絡を取ってみると、なんと遠藤さんはこの春から独立し、個人で椅子張りの仕事を始めたとのこと。これはいいタイミングということで、イギリスでの椅子張りの仕事を中心に色々とお話を伺ってみました。
まずわたしの興味があったのが、古いものを大切にする国イギリスでの仕事は、やっぱり日本よりもやりやすかったのかな、ということでした。
「こっちに来たことで会える椅子の種類は確実に増えました。日本では見ることがなかなかないようなタイプの椅子も見られるし、もちろん直す機会も増えたし」
「19世紀、ヴィクトリア朝のころが一番生産数も多かったし、今に残っている数も多いです。ヴィクトリア朝後期には産業革命があって、工業化のせいで家具の品質が粗悪になっていた時期もあった。その反動でアーツ・アンド・クラフツ運動が起こったり、アールヌーボー様式が流行ったりして手仕事の良さが見直されて、20世紀前半のエドワード朝くらいまで、多くの椅子が伝統的な工法で作られていました」
そういうお話を伺っていると、これ以上ない環境に身を置けたんだな、と思えます。
「わくわくする機会はとても多いです。でもなかなか苦労することもあるかな。日本だと住宅もあまり広くないせいもあって、主張の強い柄物よりシンプルな無地が好まれると思うんだけど、こちらは柄物で冒険したがる人もけっこう多いです。とくにこの辺りはイングランドでも北のほうで、冬はとても寒いので温かみのある柄物が好まれています。例えばタータンチェックとか。チェックは縦も横もまっすぐの線があるので、カーブのある椅子に合わせて張るのはなかなか大変なんだけど…こっちにきてから初めの3年間くらいは無地の生地で椅子を張る機会がなくて。もう大変だったけど、大変だった分技術が身についたとも思っています」
大きくフランス式とイギリス式に分かれる椅子張りの技法。イギリスにいるフランス出身の職人さんも多く、一緒に働く機会もたびたびあったそうです。少しずつ技術の違いはありつつも、伝統的な椅子張りの技術を持つ職人さんにはみんな一つの大きな指針があったそう。
「私を含め、今まで出会った職人さんはみんな「椅子はフレームが命」だと思って仕事をしています。たとえば現代の椅子にはスプリングが入っているけど、スプリングが使われるようになる以前の時代に作られた椅子には入れません。以前の修理で、その椅子本来の姿ではない直し方をされていたとしても、いったん剥がしてフレームを見れば本来の張り方がわかるんです。そこから外れると最悪の場合は椅子に無理をかけて傷めてしまうし、その椅子本来の姿ではなくなってしまうから」
実際、遠藤さんから見て「以前にあまり良くない直し方をされているな」と感じる椅子が修理に出されてくることもあるそうです。それは技術不足だったからかもしれないし、そうしたほうが安く仕上げられたからかもしれません。きちんとした仕事をしようと思えばそれだけ手間がかかり、費用もかさみます。それでも技術のある人に直してもらおう、とお客さんが思うのは、やはり古いものを大切にする気質がイギリスという国に受け継がれているからでしょうか。
「もちろんそれもあると思います。でもやっぱり椅子は結果が座り心地に出るから、直して何年か経ってから技術がわかるものだと思います。だからこそ、以前に椅子を張ったお客さんが「別の椅子も直してほしい」って持ってきてくれると嬉しい。きちんとした仕上がりにできたんだな、と思えて」
ここまでお話を伺っているとさすがイギリス、伝統技法の椅子張り職人として生きる道がきちんとあるんだなあ、という印象ですが、なんと遠藤さんはそれ以外の椅子の修理も手がけているそうです。
「工房で仕事をしていると、お客さんからはもちろんウレタンフォームを使ったモダンなものの修理依頼が来たりします。最初は本当にやりづらかったけど(笑)、慣れたら扱いは楽だし、仕上がりも早いし、あまり苦ではなくなったかな」
遠藤さんの中でのこだわりである、「手を使って、自然のもので仕上げる」というところとはどういう折り合いをつけていったのでしょうか。
「もともと一番初めに手を使った仕事をしたいな、と思ったときの話に遡るんだけど、新しいものを作り出すような仕事もどうだろうって色々検討したんです。それで気づいたのが、自分は新しいものを作り出すことに罪悪感を感じるんだっていうこと。今いろんなものが溢れている中で、自分があえて新しいものを作る必要はあるのかな?という疑問があるんです。新しいものを作り出すのは責任があることだし、自分の作ったものに対する強い信念がないとできないことだと思いました」
「椅子張りの仕事の良さは、すでにあるものを直してまた使えるようにできるということ。捨てて新しいものを買うんじゃなくて、同じものをずっと大切に使えるという意味では、トラディショナルもモダンも大きな差はないんじゃないかと思うようになったんです。もちろん好きなのはトラディショナルなものだし、依頼が来たらやったー!って思うんだけど(笑)。世の中は変化していくものだし、それに対してNoって言ってみたところで、すでに存在するものがなくなるわけじゃない。それだったらモダンなものでも大切に使っていけるようにしていけたらいいよね、と思っています」
「直す」ことに対してのスタンスが、ここ数年で少し変化してきた遠藤さん。でも変わらずにあるものももちろんあるそうです。
「一番にあるのは、自分という存在の痕跡、足跡みたいなものを残すことができることかな。将来自分が直した椅子を誰かが剥がして、私の仕事について考えてくれる人がきっといる。そう思うと、しっかりした仕事がしたいなって背筋が伸びます。あと、古くて質の良い椅子、これからもずっと直して使われていくだろう椅子には、仕上げのときにお手紙を入れることがあるんです。「この椅子はこういう風に作られているので、椅子張りもそれに合わせてこうこうこういう方法を使いました」というような。いつか直す人が読んでくれるように。同じように、私が古い椅子を剥がすときもそういうものが残ってないかな?って探してしまいます。残念ながらあまり出会えないんだけど…」
「機械に負けない仕事がしたい」。人工知能がどんどん賢くなって人間の仕事がなくなってしまう、なんていう、本当なんだか脅しなんだかよく分からないこともしばしば言われる今の時代、そんなことを考えたことのある人は少なくないと思います。遠藤さんの場合はそれが椅子張り。それは「今あるものを大切に使いたい」という気持ちともマッチして、きちんと遠藤さんの手になじむ技術となっていきました。
遠藤さんのすごいところは「本当に自分が大切にしたいことは何なのか」を突き詰めて考えているところだな、と思います。手を使った仕事がしたい、古いものを大切にしたい、自分の中で軸を決めたとき、遠藤さんにとってはイギリスで学び、仕事をすることが一番適切な方法でした。そこまで考えを深めていけるのもすごいし、それで外国に渡ってしまえるのもすごい。
人間の起きている時間の中で一番のウェイトを占めている仕事。「自分が大切にしたいこと」にも大きく関わってきます。遠藤さんのようにたまに一度立ち止まって、じっくりと考えてみる機会を持つことは必要なことなんだろうな、と思わされました。
文 / 赤星友香
フリーランスのクロシェター・ライター。編み物のパターンを作りながら、文章を書く仕事をしています。心から納得できる仕事をしようとしている人たち、自分や周りの人にとってより暮らしやすい環境を作ろうとしている人たち、小さくてもおもしろいことを自分で作って発信している人たちを言葉にして伝えることで応援したいと思っています。