暮らしのコラム #15 直す人たち①「まちの家具屋」である理由
暮らしの中でどうしても壊れていってしまうものたち。新しくて便利なものも安く手に入る世の中ですが、壊れたものを直して新しい命を吹き込む職人さんたちもいます。
「直す」ということは、ものと「出会い直す」ということだと思います。一度壊れてしまったものを直しても、壊れる前と全く一緒になるわけではありません。たとえば金継ぎ。漆と金粉を使って割れた器の破片をつないでいく技法です。金継ぎをし終わった器には割れた後に沿って模様ができます。
割れる前の器にはもう戻らないけど、でも金継ぎされた器も素敵だと思いませんか?この器が辿ってきた時間を現しているような金継ぎの模様。そうか、この色には金はこんな風に映えるんだな、なんてことにも気づいたりして、もしかしたらちょっと新しいものを手にいれた感覚も持てそうですよね。せっかく直したんだからまた大切に使おう、と考えたり。ものを直すことが「出会い直す」ことだと思うのはそんな瞬間だったりします。にっぽん てならい堂でも、金継ぎなどの「直す」ワークショップを開催しています。
暮らしのコラムでは「直す」人たちに、何をどんな風に直しているのか、そしてどうして直すことが大切なのか、教えてもらう連載を始めました。色々な「直す」エキスパートたちに登場していただこうと思っています。あなたのお気に入りと出会い直すお手伝いができたら、とても嬉しいです。
今回お話を伺いに行ったのは南秀治さん。南さんは世田谷代田の駅の近くに工房を開いて家具の修理を請け負っています。新しい家具も作る南さんですが、頼まれた家具はどんなものでも快く修理してくれます。なんと南さんが今まで直すのを断った家具は一つのみだそう。それも美術品のようなもので、家具職人よりも美術の専門家に頼んだ方がよい、と判断されたからだそうです。そんな南さんに「直す」ということをお話しいただきたくて、南さんがやっているもう一つのお店、工房から歩いてすぐのありがとうを届ける道具店「ダイタデシカ、」に伺いました。
地に足のついた仕事がしたい
「ダイタデシカ、」のオーナー、「ものことまつり」の主催、と色々な顔を持つ南さん。もともとIT系の会社員を20年ほど続けていた南さんはあるとき会社を辞め、家具を作ったり直したりする仕事をするようになりました。南さんが今のような活動をするに至る道には、「誰かが困っていることに対して自分が役に立ちたい」という思いがありました。
会社を辞めたときに思ったことは「地に足がついた仕事がしたい」だったそうです。「地に足がついた仕事」とはどういうことでしょうか。南さんによるとそれは「自分の仕事がどういうふうに世の中に役に立っているのかわかり易い、単純な仕事」なのだそうです。
もともとものを組み立てたりバラしたりするのは好きだったという南さん。「お客さんに直接会って、言葉や表情からどのくらい役に立ったか、喜んでもらえたかがわかりやすいのが家具の仕事のいいところ」だと言います。だから南さんは家具のデザイナーというわけでもなく、修理専門なわけでもありません。家具の分野で誰かが困っていることについて何か答えを出してあげる、かかりつけのお医者さんのような「まちの家具屋さん」です。
困りごとを相談できる「まちの家具屋さん」
新しい家具を作るときも、アンティークの家具を修理するときも、南さんが家具の前で仕事をするときは常に相談してきてくれたお客さんがいます。自分が作りたいものを作るのではなく、お客さんが困っていることに対して、家具の職人としての自分が役に立てることを提案する。それが南さんの仕事のやり方です。逆に言うとお客さんが何を困っているのかわからない仕事は受けません。どんな依頼であってもまずはお客さんに直接会って話を聞くことを大切にしています。
南さんのところには困りごとを相談しに幅広い年齢層のお客さんが来ます。そのほとんどが代田付近の歩いていける距離からの依頼だそうです。「たとえば僕のことを聞いた方が長野とか大阪とかにいらっしゃったとして、そういう依頼を受けていくのも地に足がついていないのかな、と感じるんです。『まちの家具屋』として、エリアを広げすぎないことを大切にしていきたいです」
家具屋さんで修理をしようと思っても「うちの商品でないと修理できません」とか「これだったら新しいのを買ったほうが安いですよ」とか言われることがよくあります。でも「まちの家具屋」である南さんはそうではありません。「修理できません、とか新しいのを買ったほうがいいですよ、とかいうのは職人として提案になっていないと思うんです。直し方にはいろいろな方法があります。そしてお客さんにはそれぞれの事情があります。この家具にはこの直し方じゃなきゃいけないとか、うちではこういうことはできないとかじゃなくて、自分の技術の引き出しの中から何種類かの提案をして、それをお客さんに選んでもらうようにしています。その引き出しのたくさんある職人がいい職人だということだと思います。」
直して使うという選択肢をもっと伝えたい
「お客さんの困りごとに答えること」を大切にしている南さん。その中でも直すということにはとくにこだわっているそうです。どうしてなのか、教えてもらいました。
「まず、壊れてしまったものが直ったらお客さんは毎回喜んでくれますよね。それが嬉しいのは間違いないです。あとは、家具って修理お見積もりの時点で工程が100%予想できることがほとんどないんです。開けてみなきゃわからないところがある。お客さんの大事なものをお預かりしている以上毎回とても緊張することでもあるんですが、その緊張感は好きですね。直していると、あ、この椅子はこれまでに2回直しているなあ、2回目の職人はへたくそだなあ、なんてこともあります。逆にこの家具を作った人は直す人のことも考えてここまで作っているんだなあ、と感心することもあります。僕も自分が担当した家具が僕以外の人の手に渡ったときにまた修理することができるような修理方法を選ぶことを心がけています。」
そんな職人さんらしい言葉を聞いた後、南さんは「あと、これは僕の妄想も混じっているかもしれないんですが…」と続けてくれました。
「日本人の生涯年収のうち約三分の一が住宅費だと言われています。新築で家を建てるのがサラリーマンの夢だというように言われていて、それをなんとなく信じている。でも、住宅費を稼ぐために残業して家族と過ごす時間を削って、飲み屋でストレスを発散して、最終的には内臓を悪くして死んじゃう人もいる。それでそういうものかなあってみんな半分諦めているんじゃないでしょうか。でも、僕は自分の、そして自分の子どもの問題として考えたときに、ちょっとちがうやり方があるんじゃないかと思いました。家は新築で買うものだ、そしてその家は30年経ったら建て替えなきゃいけないものだ。そういう風に言われていますけど、もしかしたら家は100年、200年保つものなのかもしれない。そうしたら何が何でも新築で家を買う必要はないのかもしれない。生涯年収に占める住宅費は半分くらいになるかもしれません。その分稼がなくて良くなるわけだし、自分の好きなことがその時間でできるようになるかもしれない。そうなってほしいという願望があります。ただ、いきなり家でそれをやりましょう、というのは難しいと思うんです。だから家具から挑戦できないかな、と思っています。みんなが直して使うようになってくれればいいのにな、という気持ちですね」
壊れてしまったら新しいものを買う、というふうにしているとどうしても安いものを選んでしまいがちです。でも、「壊れても直す」という選択肢があれば、ちょっと値が張っても直して使えるように作られているものを買うことができます。南さんは、修理されたものを見たお客さんに「こんなふうになるなんて想像できませんでした。南さんは最初からこうなるのが分かっていたんですね。」と言われることが良くあるそうです。「経験したことのないものは想像しにくいものです。だから、作り手のやるべきことは形にすること、きっかけになるような小さな体験をどれだけしてもらえるか工夫することなんだと思っています。」
安いものをどんどん買い換えていくのか、気に入ったものを長く使っていくのか。そんなことは普段はあまり考えないかもしれません。たとえばお気に入りのものが壊れてしまったとき、それがなんであっても「直す」ことを検討してみると、ひいては自分はどんなライフスタイルを求めているのか、何を大切にしたいのかということを考えるきっかけになりそうです。
南さんはそれを声高にお説教のようには言いません。こんなやり方もあります、こうすればまだ使えますよ、と実際に手を動かして見せてくれる職人さんです。自分のものの買い方や生活の仕方をいきなり全部見直すのは難しいことです。でも、南さんの見せてくれる小さなきっかけを経験してみると、「こんなものもあるんだ!」「こんなやり方で古いものが生き返るんだ!」というふうに、今まで知らなかった新しい選択肢に出会えるかもしれませんね。
「ダイタデシカ、」や南さんの活動については一度こちらの記事でもご紹介しています。ぜひこちらもお読みください!
https://www.tenaraido.jp/column12
「ダイタデシカ、」を会場とする金継ぎのワークショップ、「うるしさんの金継ぎ学級」の紹介はこちらです。
https://www.tenaraido.jp/experience/kintsugi
文 / 赤星友香
フリーランスのクロシェター・ライター。編み物のパターンを作りながら、文章を書く仕事をしています。心から納得できる仕事をしようとしている人たち、自分や周りの人にとってより暮らしやすい環境を作ろうとしている人たち、小さくてもおもしろいことを自分で作って発信している人たちを言葉にして伝えることで応援したいと思っています。