暮らしのコラム #17 職人の勘ひとつ。鎚起銅器の世界
金槌で叩いて起こしながらつくり上げていく、“鎚起銅器”。
製作にあたっては、金槌だけでも約200種類あるなど、さまざまな道具を使って、銅を叩きながら縮めていきます。
急須や酒器、花瓶や鍋などの銅器がありますが、銅を縮めるのも丸めるのも、職人の勘ひとつ。
今回は、新潟で200年にわたって銅器づくりを営んできた、「玉川堂」を訪ねました。
銅器づくりのルーツをたどる
金属加工産地として知られる新潟県燕市。燕は、江戸時代の建築物につかわれる “和釘”づくりの産地でしたが、大量生産される“洋釘”が主流になる江戸時代後期に、仙台の職人が燕に鎚起銅器の技術を伝えたこと、また近郊で良質な銅がとれたことから、次第に鎚起銅器の産地として確立していきます。
「和釘というのは、今でこそ暮らしのなかで目にすることはありませんが、神社仏閣などは今でも和釘がつかわれているんです。伊勢神宮では式年遷宮といって、20年に一度、建物すべてを新造する行事がありますが、もちろん伊勢神宮でも和釘がつかわれています。」
伊勢神宮がなぜ20年ごとに遷宮するのか、いろいろな説がありますが、山田さんは職人の技術を伝承するのに一番ふさわしいのが20年であるという、職人技術の伝承説について語ります。
「本当かどうかは分かりませんが、その言い伝えがとても好きなんです。式年遷宮のたびに、宝物殿には一流の職人がつくった様々なものがおさめられるのですが、当時の職人は12歳くらいから務め始めて、60歳くらいで引退するとして、2回、うまくいけば3回ほど式年遷宮に関わる機会がある。最初は親方のやり方を間近で見て、20年後には自分自身の熟練した技術を残していくわけです。」
和釘はかつて、いろいろな地域でつくられていましたが、職人がだんだんと少なくなり、2年前の式年遷宮で使われたすべての和釘は、新潟県三条市でつくられたものが納められたそう。
「それも、鍛冶屋さんが5年ほど掛けて少しずつ分納したものです。三条市の和釘をつくる技術がなくなってしまったら、伊勢神宮の式年遷宮という大きな行事も途絶えてしまう。深刻な状況であるともいえます。」
現代無二の、伝統的工芸品
安くて軽いアルミ製品が出回ったことで、和釘づくりと同じように、銅器づくりも衰退の道をたどりながらも、玉川堂は盛んに職人の養成に励みます。
「明治時代に、廃刀令で仕事を一斉に失った彫金の職人たちを江戸から呼び寄せたことで、暮らしのなかで使われる道具から、美術品としての要素が加わりました。国策で万博に出品することを推奨され、そうするうちに鎚起銅器が美術的な要素を帯びていった、ということもあります。」
玉川堂は、戦前までに国内外で30数回の万博に出品。日本が初めて参加したウィーン万博博覧会にも出品し、燕の鎚起銅器として、その名を世界に馳せるようになります。
「それでも、順風満帆とはいかなかったようです。輸出する際に、たくさんの鎚起銅器を積んだ船が沈んでしまったり。近年は不況のあおりもありますが、今の七代目が商売のしかたを変えるなど、この技術を残すためにできることを続けてきました。ありがたいことに、2年前は年間700人、昨年は2,000人と、見学者がとても増えているんです。」
現在、新潟県から「新潟県無形文化財」、文化庁から「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」、経済産業大臣から「伝統的工芸品」に指定された玉川堂。
昨年から、自分たちでつくったものを自分たちの手で届けたいと、東京・南青山に店舗を構えます。
「ずっと問屋を通して商売をしてきたのですが、お客様の声が届かなくて。産地問屋、百貨店問屋…と3つ、4つ問屋を挟むわけですから、当然なんですけどね。現在は、いつでもどうぞと職人のいる工房を見学できるようにして、生産現場を見てもらいながら、この職人の技をどう残していけるかを考え続けたいと思っています。」
「実家が瀬戸物屋さんで、お店は閉めてしまったけれど、やっぱり思いがある」と話してくれた山田さん。芸術でも民芸でもなく、生活の道具として残されている技術を、どう残せるか。今、私たち自身が問われている気がしてなりません。
“人”が、“一”枚の銅を“叩”く。
この言葉を組み合わせると「命」になります。
金と同じ価値を持つ銅に「命」を吹き込む、それが鎚起銅器なのです。
<DATA>
鎚起銅器 玉川堂(ついきどうき ぎょくせんどう)
住所:新潟県燕市中央通り2丁目2-21
TEL:0256-62-2015
営業日:平日 8:30~17:30
定休日:日曜日、祝日
ウェブサイト:http://www.gyokusendo.com
文 / 増村江利子
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経て現在はフリーランスエディター、ライター。一児の母。主なテーマは、暮らし、子育て、食、地域、エネルギー。暮らしの工作家。毎日を、ちょっぴり丁寧に暮らしたいと思っています。