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「職人の爪のあいだ」①富山県高岡市モメンタムファクトリーOrii編

伝統産業・職人・町工場・手しごとをこよなく愛する、オタクな日本伝統産業女優の村上真希です。
私だからこそ聞けるつくり手の芯の部分、根源を探る質問を投げかけていきたいと思います!

聞き手/文/写真 ”伝統産業女優”村上真希

栄えある第一回は高岡から。モメンタムファクトリーOriiの折井さん。

職人さんの着色作業場所。 萌えます。かなり好きなスポットです。 きゅんきゅんしますね。ほんとうっとり。

職人さんの着色作業場所。かなり好きなスポットです。きゅんきゅんしますね。ほんとうっとり。萌えます。

こういった銅などの金属の鋳物に色を付けるのが折井さんのお仕事。しかし、これカワイイ

こういった銅などの金属の鋳物に色を付けるのが折井さんのお仕事。しかし、これカワイイ

富山県高岡市は、400年の歴史を誇る、仏具・鋳物産業がとても盛んな産地です。

そしてひとつの製品が出来上がるまで“分業制”になっていて、各工程ごとに専門の職人さんがおり、バトン渡しのように徐々に完成に近づいていくのが高岡鋳造の基本的な流れになります。

今回はその工程の中でも、最終工程に位置付けられる「色着け」である「銅板着色」を担当しているモメンタムファクトリーOriiの代表 折井さんにお話を伺いました。

仏具。チョコレートみたい。

仏具。チョコレートみたい。

真希(以下、真)
:こんにちは!
今日も折井さんの職人スタイルカッコいいですね!!“折井”マークの入った素敵なデニムジャケットにオリジナル手ぬぐい!本当折井さんいつもファッションにも抜かりなくステキ!

折井さん(以下、折)
:ありがとう!


:ではでは早速初めに、モメンタムファクトリーOriiでのお仕事内容を教えて下さいっ♪


:伝統工芸“高岡銅器”の着色を担当しています。最近は伝統的な高岡銅器の着色の技法を応用し、銅・真鍮などの圧延板に新たな発色技法で建築・インテリア・クラフトプロダクツとして新しい市場を開拓していく事に力を入れています。そして唯一、様々な色の表現が可能な銅・真鍮の魅力を日本全国そして全世界へ伝えていく仕事をしております。


:ほっほーう。折井さんっていうと建築・インテリアでの《Orii Blue》がとっても印象的なんですけど、元々は仏具や生活用品などの銅器着色を行っていたんですよね?

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《Orii Blue》


:そうですね。祖父が大正末期・昭和の初期より着色業へ丁稚奉公し、戦前から着色業を始めたようですが、戦後の昭和25年に正式に「折井着色所」として立ち上げました。
当時は暖を取るための火鉢や鉄瓶かけなど生活に密着した銅器が飛ぶように売れた時代でした。その後、父が継ぐ頃になると、ちょうど高度成長期で日本全体が豊かになり、美術工芸品としての”高岡銅器”を家庭に置くことがステイタスとなるようになって、作家さんとの共同作品や美術品にも多く関わり、黙っていてもどんどん売れる時代になっていったんですね。
そこから、私が継いだ90年代半ばにバブルが弾け、全国的に伝統工芸品の産業自体がどんどん下火になっていきました。家を継ぐ前、26歳まで東京でIT関係の会社に勤めていた自分は、業界についてほとんど無知に近く、毎日葛藤していましたね。


:折井さんIT関係だったんですね!意外!東京の会社に勤めた後に、故郷に帰って家業を継ごうと決心したきっかけは何だったんですか?


:当時、父の弟である叔父が東京で広告代理店のお偉いさんになっていて、よく食事に連れてってもらったり、色んな相談をしたりしてたんです。
その時に「お前の家には家業があり、確かに今は低迷している産業かも知れないが、長男のお前が継いでいかないと無くなってしまう技術なんだぞ。お前のじいさんや父さんは皇居や善光寺の仕事をしたりと、とても素晴らしい仕事なんだぞ!」と言われ決心しました。そして、職人になるのなら早いほうが良いと思い26歳の時に高岡へ帰ってきました。


:おじさんの言葉とっても沁みますね。その当時だからこそ、そういったおじさんの思いや言葉には熱を感じます。聞いてて胸が「カッ!」となりました。
そして、そうした苦しいタイミングで工場を継いだ事で、今の折井さんの前へ前へ!スタンスのベースが培われたんですね!!

無知だったからこそ”偶然”生まれた孔雀色

折井さんが作り出した、Oriiマーブルと言う独特な紋様の色をつくりだす。こういった年季の入った場所に入れるだけでもとても幸せでドキドキします。

折井さんが作り出した、Oriiマーブルと言う独特な紋様の色をつくりだす。こういった年季の入った場所に入れるだけでもとても幸せでドキドキします。


:高岡に戻って初めはとにかく仕事が無い時代でしたし、もちろん技術も無いので、何していいのか分からなくて、毎日悶々としていましたので、「新しいプロジェクトに参加したり、新しい事を自ら開拓したい!」「人脈を広げていきたい!」と思って、最初の1年くらいは仕事が終わってから夜中の2時3時までBARなどに飲みに行きまくってましたね。
でも結局そこからは何も始まらないな…と気付き、まず着色以外の全工程をきちんといちから学び直して、うんちくも語れなければ作家さんとも対等に話ができないと思って、“高岡市工芸センター”での勉強会に3年くらい通っていました。そこで出会った同世代の仲間達と当時の大学生と一緒に、高岡伝統産業に新しい切り口を開拓していこう!と98年にデザインユニット「momentum」を組んだのが始まりですね。
そのユニットで定例会議をしたりする拠点としてうちの工場を使用していて、10年経った頃、新たな舞台へ進むためにとの想いから、”モメンタムファクトリーOrii”へと改名したことが、現在のうちのベースとなっているんです。


:おぉーそんな裏話が・・・熱すぎますね!そこからどんどん新しい事にチャレンジして“Orii Blue”とか”Oriiマーブル“といった折井さん独特の発色技法が生まれて、お仕事の分野が広がっていったんですね!!わぁーーードキドキしてきましたー!


:当時、鋳物には“鉛”が入っていて、人体に影響があると言われ始め世の中では鉛を排除する運動が盛んになってきて来ていたんです。でも実は鋳物は鉛が入っていると成型も研磨も色着けもしやすくて、高岡銅器は食器よりも美術工芸品が多かったこともあり、あまり問題意識を持っていなかったんです。
しかし今後、食器や新しい切り口を広げるためにも「高岡鋳物産業としても鉛が入っていなくても製造していけるような技術を磨いていきましょう!鉛を除去していこう!」と“鉛レス研究会”というのが始まったんです。そこでうちとしては、鉛レスの銅の圧延板や真鍮にも新しい色が付けられようにと、研究や実験が始まったんです。
でも、それらは今まで扱ってきたものとは違うとても薄い板でしたので、伝統的な“ヌカ焼き”“お歯黒色”などには適さない技法であるため、もういたずらに近いほど、とにかくいろんな事を試していましたね。そうした試行錯誤の結果生まれたのが、”斑紋孔雀色”という独自の色なんです。ここからのちに、“Oriiマーブル”や“Oriiブルー”といった斑紋色シリーズが誕生しました。

斑紋孔雀色

斑紋孔雀色

それはおそらく、社会人としてすぐに着色業を継いでいたら、固定観念に囚われて思いつかなかったであろう、ある種の無知だったからこそ生まれた技法でした。”孔雀色”は本当に偶発的に生まれたので、初めは偶然過ぎ再現性が無く、安定して確立するためかなりの時間を費やしましたが、そのくらい画期的発色技法であり、おもしろい色だったんですね。


:再現性無いくらい偶然に生まれた色って・・・あ~もうお話聞いてるだけで鼓動が止まらくなります!もう自分の子どものように愛着が半端無いですね!やぁ~このお話だけでも一本映画撮れそう!!


:(笑)

それまで着色屋は”待ってる仕事”だったのですが、その技術を糧に自社のオリジナルを作り新しい分野へ広げていける!と確信し、次々とオリジナルの色を編み出して、現在に至ります。


:その着色という仕事に対する貪欲さや探求心が、折井さんが戦後から続いた”折井着色”に革命を起こしたんですね!!素晴らしい!!! 本当、折井さん隅から隅までカッコ良すぎます!!!(笑)

男として、職人として、かっこよく生きたい!

折井さんのご自慢のクラッシクカーとカヌー。 普段の折井さんはアウトドアが大好きなかっこいいお兄さん! 夕日までもカッコ良く演出!!キレー!

折井さんのご自慢のクラッシクカーとカヌー。普段の折井さんはアウトドアが大好きなかっこいいお兄さん!夕日までもカッコ良く演出!!キレー!

重なり入っている何かにワクワクします。

重なり入っている何かにワクワクします。


:今まで高岡伝統産業の中でも先頭切って突き進み、そして結果を出してきた、折井さんの原動力をぜひ教えて下さいっ!!


:それはやっぱり「カッコイイおじちゃんで生きたい!」という想い。そして何よりも「高岡の伝統産業はカッコイイんだ!」と高岡のことを全く知らない人たちにも示していきたいという想い。
ほんとそれだけですね。ここまで10数年かかりましたが、この先の後継者にも「カッコイイ!」と思ってもらって、誇りを持って技術を受け継いでもらいたいと思っていますね。


:「カッコイイおじちゃん」ってもうすでにカッコ良すぎますよ!まだまだいきますか!!(笑)そのスタンスがもう既に想定外で斜め上へ向かっていてグッときますね!
でも確かに実際、今現在モメンタムファクトリーOriiの職人さんは20代30代の方が多くて、平均年齢が30代前半くらいになっていたりと、折井さんの魅力的な活動が若い職人さんへも、確実に影響していますよね! 


:私が死んだあとでも、50年後「富山県高岡といえば”Orii”」と認知され、スタンダードになるくらいにどんどんファンを増やしていくためにも、そういう想いを原動力に頑張っていますね。


:やぁー正に!!私は既に折井さんのすっかりファンです!(笑)オタク発言ですが、私にとって折井さん始め『職人さん』はアイドル並に憧れのポジションなんです!!
そして、「この職人さんの作品はどんなものを作られるのかな…」とか、逆に「この作品の職人さんはどんな人なのかな…」と。
そこで“つくり手”と“作品”がリンクした時、その作品を手にした時、どんどんどんどん愛着が増して宝物の様な特別な存在になって、一生大事にしていきたい!と思うんです。
その感情や思いって、自分が思っている以上に生活を豊かにしてくれて…それは私が思うに、手しごと・職人さんの魔法なんではないかと❤それがたまらないんです。私の人生でなくてはならない幸せの一瞬なんです。そういった「日常的な幸福感」を色んな人に広げていきたい!生活の豊かさのヒントを広めたい!!と、私の役割はそこだと思っています!キリッ!!


:おー!そう言っていただくと責任も感じるし、手を抜いていられないな!と、身が引き締まりますね!ダサいところ見せちゃいけないなって。もっとカッコイイの生み出して行かなきゃな!ってね。

今の時代だからこそ選べる仕事がある。

この子達が毎日フル活動で働いて素敵な製品が生まれるのですね!

この子達が毎日フル活動で働いて素敵な製品が生まれるのですね!

問屋さんが取りに来られた大きな琺瑯。次の職人さんのところへ行ってらっしゃい!

問屋さんが取りに来られた大きな琺瑯。次の職人さんのところへ行ってらっしゃい!


:では、ものづくりを今後仕事としていきたいと考えている若者、または夢を描いている子どもたちへのメッセージをお願い致します。


:そうですね…最近、実際工場見学に来る人たちのなかでも“ものづくり”へ興味を持っているのが、8割方女性なんですよね。男性もっと頑張ってくれよ!とも思いますがね。(笑)

るるるる〜♪

るるるる〜♪

実際今の時代、例え高学歴だったとしても、昔みたいに望んだ会社に就職できる保証はどんどん無くなってきていると思うんですよね。一方で、昔と比べたら、夢や自分の志向次第で自由に選べる世の中になっているのだから、どんどん好きな分野に挑戦していってもらいたいと思いますね。
そういった現代だからこそ、ものづくりをきちんと見つめてもらい、新しい改革に向かっていく気持ちと、とりあえずかじるのではなくて本腰入れてガッツリ覚悟を決めて、10年20年ときちんと取り組んでいってもらいたいですね。


:ほんとう、それは私も身に染みてます。
私は“モデル”からはじまり“女優”という職業を選び今年で18年のキャリアになります。ここまで続けてきたこと自体も才能だと思っています。そう思うことにしました。

や、でも本当もうこれで食べていく!って決めた時、生半可な覚悟ではなかったですよね。人生一度きりだし、手抜いて生きても、ごまかして生きていっても、将来その真実を痛いくらい認識するのは自分で。だったらやってやろうじゃん!って大きな不安の裏では、終始わくわくしっぱなしでした。
人生で本気で挑戦する気持ちや、諦めたくない!っていう意地みたいなのが必要になる時ってそう何度も無いと思うんですよね。だったら飛び込んじゃえばいい!!そんな勢いがなければ、なんも開かれないしせっかく見つけた、わくわくドキドキもどんどん濁っていってしまうと思うんです。
意識してなかったとしても、心の根源にある【スキ】って無敵なんだなって思いますね。
だから、やぁ~折井さんの言葉、今の若い方々の背中をグッと押してくれる温かいパワーを感じます!同感です!!!
と、ついつい熱く語ってしまいましたが>▽<; ではでは、今後モメンタムファクトリーOriiとしての今後の新しい試みや、向かっている方向性などありましたら教えてくださいっ!


:そうですね。モメンタムファクトリーOriiの知名度は本当まだまだだと思っているし、今後もチャンスがあればどんどんこういったインタビューやコラボなども受けていきたいですね。そして異業種と伝統産業との接点を増やしていき、それが底上げとなってうちの会社としても、そして高岡伝統産業全体としても盛り上げるために、続けていきたいですね。


:新たな異業種とのコラボ、今後も益々楽しみですね!!
折井さんの新たな切り口は、毎回研ぎ澄まされた内容でいつも鳥肌立てて拝見してます!!!
最後に、”伝統産業女優 村上真希にやってもらいたいこと”って何かありますか?


:これからもっともっと各産地や伝統産業に特化した、映画や映像に出演し続けてもらって、村上真希だからこそできる“産地と産地をつなげる架け橋”として活躍していってもらいたいですね。そしてそこからどんどん伝統産業の分野を盛り上げていってください!
そして10年、20年と活動を続けてもらって、それこそ『日本伝統産業女優』というジャンルがあるんだぞ!と「私も伝統産業女優になりたいです!」っていう子がどんどん出てくるくらいに確立していって欲しいです。応援していますので、お互い頑張っていきましょう!!


:ふわぁ~!!!!涙。
ありがたいお言葉っ感動しちゃいます!!そんな応援してくださる方がいて、とっても心強いです!勇気になります!!本当にありがとうございます!日本伝統産業女優としてもっともっと日本の伝統産業、そして手しごと、ものづくりの応援団長として、職人さんの最強な味方として頑張っていきます!

工場のルールが見えるこんな場所にも、萌えます。んーーー町工場の風景が好き過ぎて心の高鳴りが抑えられなくなって来ます!!笑

工場のルールが見えるこんな場所にも、萌えます。んーーー町工場の風景が好き過ぎて心の高鳴りが抑えられなくなって来ます!!笑

「伝女」が掘る!5つのQA

「伝女」=伝統工芸品・職人・町工場・手しごとをこよなく愛する女子、が聞きたい5つの質問をぶつけてみました。

【Q1.好きなお酒&好きな食べ物は?】

A:ビール&サラミ(ヤガイのブラックペッパー味)

「とりあえずビール!が一番好き。ブラックペッパーが周りにまぶされたこのヤガミのサラミは何杯でもビールが進み、コレがアレばかなり満足ですね。」

【Q2.小学生の頃に憧れだった人物は?】

A:三浦雄一郎さん(プロスキーヤー・登山家)

「元々父親がボーイスカウトの隊長などをやっていたりアウトドアが大好きで、よくあっちこっち連れてってもらっていたんです。
そして小学生から、ボーイスカウトに所属していて、山や川へとよく活動で行っていました。その頃の三浦さんはプロスキーヤーで、「あぁ~なんかカッコイイおにいさんだなぁ・・・」とずっと気になっていたんです。
今は最高年齢でのアルプス制覇の登山家で有名ですが、今でも本当にカッコイイですよね!」

【Q3.小学生の頃好きだった科目は?】

A:図画工作

「うちは、当時流行っていた“ファミコン”など一切ない家で、工場の廃材や無ければホームセンターなどに行って材料をお小遣いで買っては作っていましたね。それはボーイスカウトでの経験もかなり影響を受けていて。“無いものをイチから作り上げる”ということがとても好きで楽しかったですね。今流行のDIYですね!(笑)中学生の頃の技術家庭科で作る椅子とか、もうその頃は既に得意でしたね。」

【Q4.一生手元に置いておきたい“仕事道具”は?】

A:自ら見つけ出し、身につけた技術

「仕事道具となると…いつも手元にあってよく使う道具は、消耗品が多いんですよね。刷毛だったり、ガスだったり、ヌカだったり(笑)なので、何を一番守って墓場まで持って行きたいか、と言ったら“自ら発案した技術”ですね。もちろん受け継いでもらいたいので若手の職人にどんどん託していきたいですね。」

【Q5:好きな映画は?】

A:『トップガン』

「当時16歳で、デートで行きましたね、映画館に。内容も勿論素晴らしいのですが、その頃の私には『トップガン』で流れる音楽にはまってしまいました。その後の『サタデーナイトフィーバー』や『スタンドバイミー』などの名作の音楽にもやられて、そこからですね、どんどん音楽に興味を持って聞くようになったのは。映画も好きですが、やっぱり音楽も好きですね。」

おわりに〜伝女 村上真希のつぶやき

取材日にお会いした折井さんは、“折井”という苗字をデザイン化したデニムジャケットを羽織り、紺色のこれまた“折井”とオシャレにあしらったオリジナルの手ぬぐい専門店”かまわぬ”の手ぬぐいを首にオシャレに巻き、“Orii Blue”と言われるトレードマークのお色のシューズを履き・・・と、とにかく職人さんの概念を覆される、勢いのあるとってもカッコイイお兄さんでした。

ぐんぐんと前へ前へと新しいことにチャレンジし、高岡をどう盛り上げていけるか!ということを常に考え、先頭切って行動している熱量が凄くて、お話を伺っているこちらまでもが、胸が熱くなる瞬間が多々あるインタビューでした。

自分が家業を継ぐと決心したその当時の、低迷していた鋳物産業の状態をチャンスに変え、”生み出した新しい技術”を“無知だからこその偶然”と言い、そしてどんどんチャレンジしていく折井さんのその職人魂を、今の若い人たちに是非伝えて行って欲しいと強く思いました。

工場の日常を感じる。 余すところ無く愛おしいです。

工場の日常を感じる。余すところ無く愛おしいです。