創業なんと200年。老舗企業の続けることへのこだわり
難易度高いですよ。本物の職人体験ワークショップ
今回のワークショップでは、玉川堂の普段職人さんが作業する実際の仕事場と道具をお借りして、半日かけて世界でひとつだけのぐい呑みを製作します。
職人さんに習いながら、一枚の銅板を叩いて器の形にし、鎚目と呼ばれる金鎚で叩いた跡を、表面に入れていきます。
全く同じ目は2つと世の中にありませんので、そこは手仕事の味、大きな魅力ですね。
鎚起銅器では、鎚で銅を叩いて伸ばしていくことと、逆に叩いて押し縮めることができます。
ぎゅうぎゅうに叩き押し込んで、密度を高めていくんですね。
また、銅は叩くと固くなりますが、これを一度焼くことでまた柔らかくなるんです。
叩いては焼きなまし、ということを繰り返しながら、ひとつの形を作っていきます。
熟練の職人ともなるとどんな形でも作れる様になる訳ですが、簡単そうに見えることさえ、初めての人にはもちろん難しいことだと思います。
けれど、この半日の中でも技術の難しさと共に、技術が向上していく感覚、その先にできることが増えていくという、職人技術の醍醐味は体感してもらえるのではないでしょうか。
銅の器は化学反応で、飲み物がまろやかになると言われています。
せっかくですから、完成した器で新潟の地酒を試飲してみましょう。
今回は新潟の蔵元、麒麟山酒造さんの協賛で、ワークショップ終了後に器を使ったささやかな試飲会を開催します。(運転の方ごめんなさい!)
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さて、器はもしかしたら、うまくできないかもしれません。
いや、それでもいいんです。
世界で一つだけ、思い入れたっぷりのあなただけの「ぐい呑み」を手にして、満足しない人なんていないと思います。
それと、燕・三条はものづくりの町。
お酒を飲まれない方は、ワークショップが終わった後、土曜日であれば他で観られる工場もありますので、足をのばしてみるのもオススメです。
創業なんと200年。老舗企業の続けることへのこだわり
創業1816年の玉川堂さんは、200年企業。
200年間もこの鎚起銅器の技術を守ってきたわけです。
けれど、今わたしたちは、「鎚目」とか「銅器」という言葉にすら、あまり馴染みが無いですよね。
一枚の板を金鎚だけで立体物に、それもとびきり美しいものに仕上げるというこの技術の持つ物語性と芸術性から、早くから工芸品として国内外で高い評価を受ける様になりましたが、それでもベースは「くらしの道具」を作るというところにあったはずです。
一目見れば分かる通り、とても手間のかかるものですが、かかる手間は昔も今も変わりません。
手作業で手間ひまかけて作った道具を昔は庶民が「ふつう」に買えて、それで職人も生計を立てることができていました。
それが今は手仕事のものは高級品となり、「ふつう」の暮らしとどんどん遠くなり、職人も減る一方です。
大量に作ることを前提に機械で安く作られる製品が登場した結果、その量産品の価格水準が「ふつう」となり、「ふつう」と比べて「高く」見えてしまうやり方のものが、暮らしから切り離されていきます。
機械を使えば、むしろ簡単に安くたくさん器を作れるのですから、こうした技術はもしかすると「とっくの昔に必要ない」という人ももちろんいると思います。
しかし、果たしてこれは、高い安いだけで量れるものなのでしょうか。
今回一緒にワークショップを企画した玉川堂の番頭さんである山田さんは、「必要ないのかもしれない。けれどもやはり200年続いたこの技術を我々の世代で終わりにするわけにはいかないと思う。」と言います。
そして山田さんのお話には、高級品を作っているからとか、分かる人だけに分かればいい、といった頑さ、狭さといった類いのものは微塵も感じられません。
むしろ、ゆるやかな広がりを目指した開放感に、今の時代に必要な新しさすら感じてしまうのです。
このワークショップを通じて、すこしずつこの技術の持つ価値を伝えていく、そのお手伝いができたらと思っています。
「つくること」と「つかうこと」はもっと近くでいいと思うんですよね。
勝手にインターン。職人の系譜が続いていきますように
まず続けること。
そういう姿勢があるからこそ、この職人不遇の時代に、毎年何人もの若い職人候補が玉川堂の門を叩き、実際に職人としての人生をスタートさせていてます。
その中には、最近の玉川堂さんでの体験を経て、心を決めた人もいれば、小学生の時に体験に来たという職人さんもいるそうで、「体験する」ことの意味の大きさに改めてびっくりさせられます。
玉川堂さんの商品はもともと大量に作れるものではないし、今後も量を追うことは考えてないけれども、職人が食べていけるように、つなげていけるように、毎年一人二人の職人を迎え入れられる程度には、玉川堂の製品が増えていけばいい、と思っているそうです。
職人が増えるということは、すなわち地域に還元されることだとてならい堂も思っていますので、続いてきた技術を今の時代に活かすことを模索しながら、次の世代にきちんとバトンをつなげようというその姿勢に、心から共感しています。
であるならば、てならい堂としても2年目となる今年は、本気で職人の後継を探すお手伝いをしたいと考えました。
コンセプトは「続くインターン」、職人仕事が続いていくために、(しかし職人仕事は誰しもができる仕事ではないだけに、)その「インターン=就労体験」を行う人はきっと多ければ多いほどいいと思います。
就労体験というにはあまりに短いかもしれませんが、まずはそのエッセンスを感じてもらえるはず。
まだ自分自身の興味に半信半疑でも構わないと思います。
もし、そんな半信半疑の興味や、天の啓示や、あなたらしい野望をお持ちの方がいらっしゃっいましたら、ぜひお申し込み時のコメントにそのことを一言添えていただければと思います。
てならい堂は、その気持ちを全面的にバックアップさせていただきます。
馴染みの無い200年の技術を体験してみたら何かが起こるだろうか
伝えていくべき価値とは何なのでしょうか。
機械成形が主流の世の中で、本当に手で器を作り続ける必要があるのだろうか、というのも難しいテーマですね。
てならい堂がものづくりの現場でいつも感じるのは、古いものが何でも良いということではないということ。
何も変わらなければ、進歩はありませんからね。
けれど、その技術を本当に必要とする人がいる限りは、それは続けていくべきものなんだと思っています。
玉川堂さんの作業場を訪れれば、とても膨大な手間をかけていることが一目瞭然です。
果たして、その手間とは何のための手間なのか。
それはやはり使う人のための手間なのだと思います。
使う人のための手間を「今の」ふつうのやり方よりも少しだけ(←嘘)余計に掛けているということ。
必要ないかもしれない、けれど、このやり方を捨ててしまうことには怖さがある。
それは戻る場所を失う怖さかもしれません。
「1000円の器を捨てて、3万円の器をてにとりましょう。」いや、そんな単純な話ではないのは誰の目にも明らかですし、それは不可能です。
ただ、何を残し何を捨てるのかは、最終的には生活者である私たちが決めていくことなんだと思います。
そのために、分からないことがあれば、まず体験・体感してみること、それが大事なのではないでしょうか。
体感してみて何が起こるかは分かりませんが、けれどひとつだけ確実に言えるのは、職人と並んで金鎚で銅の器を叩いた後で、器の見方はきっと変わると思います。
暮らしの道具や暮らしの見方を少しずつ変えていく、あるいは、取り戻していく、そんなきっかけになれば良いなと思いつつ、けれど単純にモノづくりに没頭する時間は楽しいと思いますよ!
このワークショップに参加するためにわざわざ新潟まで行くわけですが、普段は職人しか座ることを許されないその場所でものづくりを体験することは、通常では体験し得ない価値があることです。
さて、200年続くものづくりを楽しみに、わざわざ新潟まで行ってみませんか。