【てならい後記】季(とき)を感じ育てる。TOKIIROにならう多肉植物のある暮らし、夏と冬。〜冬の巻
店主の中村です。
本日は多肉植物のてならい、「季(とき)を感じ育てる。TOKIIROにならう多肉植物のある暮らし、夏と冬。」の2回目、冬の巻を開催しました。
このてならいは全2回コースです。多肉植物の寄せ植えを、講師の季色(トキイロ)の近藤義展さんに習うのですが、一回植えたらあとはご自分で!と投げてしまうのではなく、半年後に自分が育てた多肉さんを持ち寄るのがミソ。それぞれの生育状況をシェアし、反省し、今後のことを考えながら、更にこの先育て続けるために再度アレンジしてみようというてならいです。
そして、本日はこの第2回目の開催日でした。
まずは半年ぶりの再会を喜ぶ皆さん。(とはいえ、途中様々な他のてならいで顔を合わせている方たちも。)
そして、皆さんの多肉さんたちとも感動の再会。途中の状況はLINEグループでシェアされてましたので、「あー。これがあの!」「やー残念でしたねー」と、色々と通じあってる皆さん。
植えた日のイメージのままにスクスクときれいに育っている方もいれば、一度全て枯れて砂漠になってしまい(涙)、新たに植え直してお持ちになった方も。
何が良かったのかねぇ、何が悪かったのかねぇ、と話し合う皆さん。そんな皆さんの様子を見ていて、ひとつ気づいたことがありました。
それは、皆さんが決して正解を求めない、ということ。
これは実は、半年前の1回目のワークショップの際は違いました。「水は何回あげるのでしょう」「気温は何度になったら部屋に入れるのでしょう」と。やはり私たちは、知らないものに出会った時に、無意識に正解を求めてしまいます。無意識に正解があると思うんですよね。
けれど、季色の義展さんがいつもワークショップで伝えていることは逆でした。「正解なんてないよ。」
皆の生育環境も違えば、多肉植物だって一つ一つに個体差がある。だからこの通りにやればいいなんて正解はあるはずはない、自分で失敗しながら見つけていくもんだ、と。
その言葉を聞いて、いつもなるほどなーと思わされるのですが、今回の2回目のワークショップに参加した皆さんの言葉は、まさにそれを体現するものだった様な気がしました。
植物を育てるということを通じて、私たちが気づくことは、まだまだたくさんありそうです。
その後、思い思いに持ち寄った自分の多肉さんに、再度、別の苗を追加していく皆さん。たくさんの種類があって迷ってしまいそうですが、ご自身の世界観で思い思いに苗を足していきます。
今日、持ち寄った時の姿も素敵でしたが、再アレンジでまた新たに生まれた景色も、やっぱり素敵だなーと思いました。
そんな時、ひとりのお客さんが言いました。「いやー、この土の部分を掘っても大丈夫かな。不安だなー」。そこでふと、季色さんに聞いてみたんです。
「義展さんは不安に思うことありますか?」帰ってきた答えは、「僕はないですね。この子(多肉)たちを信頼しているし、自然の流れに任せてるので。」
ああ、やっぱりそうか。自然の流れに任せる。信念を持って道具を作っている人たちの中にも、同じことを言う人が多いんですよね。そんなつくり手はとても自然に生きている様に感じます。地球と、いや宇宙とつながっている感じ、というか。伝わりますかね?少し怪しくきこえるかな?笑
道具をつくることも、植物を育てることも、等しく自然の流れに任せて生み出すこととするならば、私たち生活者は、それをどう扱うべきなのか。
多肉植物と向き合ってみる6ヶ月は、もしかすると私たちに、その答えを示してくれている様な気もするのです。
なんてことを和気あいあいとしたワークショップの合間に感じながら、本日のてならいは終了。6ヶ月と言いましたが、もちろん、ここも通過点。またの再会、もちろん多肉さんも交えての再会を約束してお開きとなりました。
この企画は、「育てる」ということをその場限りで終わらずに感じ続けることのできる、てならいになった気がします。新たに、一緒に育てる仲間になってみたい方、また今年の春に開催しますので、楽しみにしていてくださいね。
それでは、また。