人生の中でなかなか無い、座布団について考える時間です
京都の座布団屋さんで貴重なマイ座布団づくりができます
え?こんなところに?と驚く京都の街のど真ん中にある洛中高岡屋さんの工房で、自分の座布団を作りましょう。
最初は職人さんによるお手本実演をしっかり見学。
何と言っても、座布団作りの華はワタ入れ。
簡単そうに見えて実は全然簡単じゃないワタ入れですが、マイ座布団のワタは是非とも自分で入れてみましょう。
それから、ワタ入れ口の隠し縫いから房付けの工程までを体験。
残念ながらこの隠し縫いの工程はワタ入れよりも難しく一般の人にはできませんので、こちらは後日職人さんに仕上げてもらいます。
職人仕事、何でもかんでも素人ができると思ったら大間違いです。(笑)
とはいっても、やっぱりここまで来たら全部仕上げてみたいのが人情、ええわかりますよ。
ということで、今回からこれなら自分でできる!ミニ座布団も一緒につくることにしました。
こちらの「ひじ用京おざぶ」は綿入れ、かくし縫い、房付けと全て体験していただき、完成させて持ち帰ってもらえます。
そんなこんなででき上がる、あなたと職人のコラボによるマイ座布団。
思い入れたっぷりに、そしてずっと使い続けられるあなたの座布団を手に入れて下さい。
10名様限定ですのでお早めに。
座布団は下記の58柄から、ミニ座布団は11柄からお選び下さい!
ミニ座布団は以下の11種類です。
人生の中でなかなか無い、座布団について考える時間です
もともと座布団はおもてなしの道具。
かつては嫁入り道具として新居に持ち込まれるものであり、5枚セットで売られるのが当たり前でした。
一方で、半分に折ってくつろいだり(のび太ですね)、三枚並べて昼寝したりと、くつろぎの道具として真逆の使い方もされるというのは、日本的な柔らかさが感じられていいなあと思うのです。
同じくつろぎの道具でも、床に座る日本ならではの座布団がクッションと最も違うのは、お尻に敷かれる前提で作られているということでしょう。
座布団には座った時に体重がかかるので、必ずへたります。
けれど体重がかかる中央部分にワタを多めに入れカマボコ型にすることでへたりにくくし、かつへたった時に均一にへたる様にするのが職人の技術です。
同じ分量でもポリエステルや羽毛と比べてコシの強い大量の綿ワタを、これぞ職人技という手さばきで一枚一枚に詰め込んでいくことで、安定感がありながら心地よい座布団ができ上がるのです。
今の時代は重量が一定=品質が一定という考え方を販売する側から求められるのですが、詰める日の湿度によるワタの水分が座り心地に影響するので、かつてはそうした微妙な条件を考慮しながら座り心地が一定になるように量を変えていたそうです。
そんなことを考えて座布団に座ったことなんてありませんよね。
高岡屋さんの話を聞いて、てならい堂は何だか無性に座布団の座り心地を確かめてみたくなりました。
京都の座布団屋さんが変えること。変えないこと
生活様式の洋風化にともない、畳と座布団はソファーとクッションに取って代わられ、いや、そもそも大広間に大勢のお客様を迎えるという機会自体が激減しました。
おもてなしの心が減ったとはいいませんが、おもてなしの機会が減ったことは間違いないでしょう。
洛中高岡屋さんは、元々は百貨店から布団の加工を請け負う職人を抱える工房でしたが、需要が減る中で、自分たちで自社商品を作っていく道を選択しました。
5枚セットといったそれまでの”座布団界”の常識にこだわらず、椅子でも床でも使える、自分がくつろぐための道具として座布団を開発し、生地や柄にしても、伝統的なものに固執せず、ヨーロッパのものなど新しいものを積極的に取り入れています。
一方で世の中には、機械で作る座布団も登場しています。
人を単純労働や危険な労働から解放する機械の価値を、てならい堂は否定する気はありません。
しかし、生き物の様な素材を相手に、使う人の心地よさのために技術を磨きながら一点一点つくりあげるこの仕事は、果たして単純労働なのでしょうか。
機械の仕事の価値を得ることは、一方で手仕事が生む価値を諦めることでしょうから、機械でつくる座布団はきっと何かを諦めているんだと思います。
また、現代のライフスタイルシーンに合わせるために、座布団の真ん中やカドについている”あの紐”を付けないで欲しいという要望があるそうです。
けれど”とじ”や””房(ふさ)”と呼ばれるあの紐にも、もちろんきちんと理由があって、そしてそこにはおもてなしの精神も込められています。
今回のような体験会などでその理由や精神を説明すると、みな、やはり”あの紐”はつけたいと言うそうです。
洛中高岡屋さんのモノづくりは、おもてなしの心を実現する手仕事を大事にしながら、その技術から生まれる座布団を、現代のライフスタイルに馴染む様に変えていくモノづくりだと、てならい堂は理解しました。
何のための仕事なのか、そのために大切にしたい価値は何なのか、いつの間にかモノづくりから遠く離れてしまった日本の「つかい手」が、その答えを出すことに参加するーーー今回はその機会のひとつなんだと思います。
街の座布団屋さん。「つくる」ことと「つかう」こと
そもそも座布団屋さんなんていう商売は、あれだけ寺社や旅館が立ち並ぶ京都にも無かったそうです。
座布団は、日本中どこの町にもある「町の布団屋さん」で作ってもらうものでした。
布団自体の需要が減り、また、布団屋さんで布団を買うという機会も減り、布団や座布団のワタを打ち直すなんてことは言わずもがなでしょう。
かつては「つくる」人と「つかう」人は、ごく近くにいました。
身近で作られた道具を「つかう」ことが「くらす」ことであったのに、「つくる」と「つかう」の距離が離れるにつれ、便利な暮らしはむしろ「つかわない」ことを求めています。
「くらす」と「つかう」、「つかう」と「つくる」の距離をもう一度縮めてみたらいいと思うんですよね。
高岡屋さんでは、以前からマイ座布団つくりの体験に以前から取り組み、年に2回行う今の形にしたのはここ数年のことだそうです。
その意図を聞くと、やはり職人に技を身近に感じて欲しい、簡単そうに見えるけど簡単では無いよ(笑)ということを知って欲しいとのことでした。
そうして身近に感じた座布団が実は打ち直せること、それは100円で買える座布団には無い価値であること、そんな風に、普通に暮らしていては決して持つ機会の無い「座布団について考える時間」を持って欲しいそうです。
それは「つかう」と「つくる」が近づくことに他なりません。
そうした時間が日本のものづくりを次の世代に引き継いでいくのだと、てならい堂も思います。
休業日の工房を止めた機会にしかできない体験であり、かつ多くの職人さんの指導が必要で、いつでも誰でも体験できるわけではない貴重な機会です。
京都でマイ座布団を作り、おそらく人生で初めての(笑)座布団のことを考える時間を、堪能して下さい。